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伝統芸能・美術鑑賞・花火大会:富澤輝実子|わらくあんみずもちsince1941 富山

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東京国立博物館(以下東博)特別展「きもの KIMONO」の報道内覧会に行ってきましたのでご報告します。会期は2020年6月30日から8月23日です。
この展覧会は4月から開催予定だったのですが新型コロナウイルスによる緊急事態宣言を受けて延期となり、着物愛好家は皆で心配していたのでした。この度6月30日からめでたく開催の運びとなりました。観覧は今までとは異なりインターネットからの事前予約制ですので、「出張のついでに時間が空いたからちょっと立ち寄る」というわけにはいかないのですが、大変見ごたえのある内容ですので、短時間でちょこっと見るというのではもったいないですね。じっくりご覧いただきたいです。

初音ミクとのコラボレーション

展覧会は「小袖」に焦点を当てた、現代の私たちの着物につながる衣服、着る物としての着物がテーマと感じられました。皆様ご存知の東博所蔵・重要文化財「白綾地秋草模様小袖」(尾形光琳筆 冬木小袖)は本物のほかに実物サイズの複製品を人体着用展示がされていて、小柄な江戸時代の女性の姿が偲ばれました。
そのうえ、「初音ミク」が冬木小袖を着ている「〈冬木小袖〉ミク」のコラボレーショングッズの販売もあります。

安土桃山時代の小袖

現存最古の小袖は室町時代のものだそうですが、断然興味深いのは安土桃山時代からの小袖です。
大河ドラマで女優陣が役の上で着用している小袖類の本物が目の前に展示されているのですから、夢中で見入ってしまいます。桃山の小袖はゆったりとおおらかな味わいです。
また、あの有名な信長所用のアゲハチョウの陣羽織も見ました。山鳥の羽を一面に貼り付けて蝶の模様を表している驚きの陣羽織です。同じコーナーに秀吉の陣羽織と家康の辻が花小袖も展示されていました。
本物の辻が花小袖を見ると興奮しますね。本当に素敵です。

国宝「婦女遊楽図屏風(松浦屏風)」

大和文華館所蔵 国宝「婦女遊楽図屏風(松浦屏風)」を心から見たいと思っていたのです。出てました、嬉しい! 6曲1双に描かれている女性たちは18名、囲碁をし、カルタをし、長キセルを持って、鏡をのぞくなど生き生きとした姿が描かれています。
着物は小紋、描き絵、絞り、刺繍、錦織など様々のように見えます。実に華やかな風俗屏風でいつまででも見ていられる見事さでした。

皇女和宮の小さな貝桶のお道具を見ると、和宮様はお手がお小さかったのが分かります。合わせ貝が小さいのです。あるいは幼少のころのものかもしれません。美麗なものです。
「京都友禅史会」所蔵の重要文化財・束ね熨斗模様の振袖もドーンと立派な姿で展示されています。めったに見られませんので、この機会に是非見ていただきたいです。

鑑賞を楽しんで

京都・島原の「輪違屋」の太夫さんの衣装は格段に豪勢なものでした。「輪違屋」の趣深い室礼の中に展示されていて見ごたえがありました。
その後、現代の展示では力強い柄の銘仙が産地の宣伝ポスターと共に展示されていました。日本中の女性たちが競って銘仙を着た時代を思ってしばらく見続けました。銘仙は伊勢崎、足利、桐生、秩父、八王子の五大産地で、年産1200万反という年もあったですから。
明治から戦前までの着物姿は人体着用での展示です。うっとり眺められます。
岡本太郎原画の迫力満点の振袖や、YOSHIKIさんデザインの着物も展示されていて注目を集めていました。YOSHIKIさんはご実家が呉服屋さんだそうです。
もう、すべて見るのに何時間もかかりますし、じっくり見たいですので、時間の余裕のある日を選んでいらっしゃることをしてお勧めします。

〈正倉院展〉

令和元年を祝う「正倉院展」が東京国立博物館で開催されました。
私も前期・後期とも鑑賞して、東大寺献物帳に墨で書かれた目録の品がすぐその前に展示されていることに深く感動しました。
1200年の歴史を目の前の実物で感じることのできる幸せに浸るのでした。
そこで思い出すのは、もう30~40年位前ですが毎年のように正倉院展鑑賞のため「奈良国立博物館」(以下奈良博)通いをしていた頃のことです。
JR東京駅から朝一番の新幹線、6時初の「ひかり号」に乗って京都駅着が9時半頃。京都駅から近鉄に乗り換えておよそ30分、近鉄奈良駅に到着です。駅前のゆるやかな坂を上りながら左手を見ると「奈良県立美術館」があり、右手には「興福寺」が見えます。さらに少し進むと右手に奈良博が見えてきます。奈良博は建物自体も大変立派で、明治時代の洋風建築の代表例として国の重要文化財に指定されています。そして左手には東大寺の広大な敷地が広がります。その奥深くに正倉院の建物が静かに立っているのですが、そこは遠くからそっと見るだけが許されています。

当時を振り返って

さて奈良博で開かれている正倉院展に入りましょう。
まだ若かった私は、螺鈿紫檀五弦琵琶(らでんしたんごげんびわ)ですとか平螺鈿背円鏡(へいらでんはいのえんきょう)、紅牙撥褸撥(こうげばちるのばち)というようなきらびやかな宝物に目が行き、その色彩と造形、繊細巧緻な技術に引き込まれて魅了されていました。

ところが、この頃は別の視点で鑑賞する自分に気が付きました。
布裳(ふのも)という麻のスカートやそこに書かれた墨書に興味がわくのです。35年以上前にも東京で正倉院展が開かれたことがありました。
昭和天皇傘寿記念だったかと思いますが、そのときの注目の一点は「楽毅論(がっきろん)」でした。
光明皇后の御手になる臨書との解説に魅了されますが、書の最後に記された「天平十六年十月三日」と「藤三娘(とうさんじょう)」の文字でした。
藤三娘とは藤原不比等の三女という意味です。書に不案内な私にも実に堂々たる筆致と分かる遺品でした。
墨ってスゴイですね! 1200年を経ても薄れて見えなくなることがない優れた文宝ですね。
同時に展示されていたのが「布袋(ふのふくろ)」という麻の袋でした。そこには「天平勝寶二年十月」の日付と共に信濃国の男性が作物の辛子を二斗納めたことが墨書されているのです。
今、その時の図録を見ると当時の二斗は今の何キロなのかしら? とか、どうやって辛子二斗を運んだのかしら? などと知りたいことが湧いてきますが、当時はほとんど見過ごしていたらしく、思い出せないのです。

いつか出会いたい「布屏風袋残欠」

とっても出合いたいと思っているのは「布屏風袋残欠」と聞く麻製の屏風袋の残欠です。
越後の国から税として納めた記録のある麻生地として有名なものです。
そこには誰が納めたかが墨で記されているため、新潟県の麻織物に携わる人々にとっては貴重な歴史資料となっているのです。いつか正倉院展で出合えることを願って今年も注目したいと思っています。

余談ですが、1980年頃のことです。同僚と二人で会社を休んでこっそり奈良に行きました。
その週は『美しいキモノ』冬号の校了間際で皆が目を血走らせて作業に追われてているときでした。
私達がうっとりと正倉院展を見ていたシーンがその日のお昼のニュースでバッチリ放送されていたのです。翌日の編集部では皆の知るところとなって白い目で見られ、忘れられない思い出となりました。

〈伝統芸能の公演〉

東京では歌舞伎座をはじめ、国立劇場、国立能楽堂など伝統芸能の劇場が、ウイルスへの厳重対策を取りながら開かれています。マスク着用や検温、手指消毒はもちろん、座席も一人置きに座るようになっていますし、終演後は出口が込み合わないよう制限をしながらのお帰り案内となっていました。

私は暮れから年明け三が日に掛けて伝統芸能の公演に出かけてお勉強して参りました。

「友吉鶴心師の琵琶楽公演」

国立能楽堂では「友吉鶴心師の琵琶楽公演」で琵琶の演奏に酔いました。
友吉師はNHKの大河ドラマで芸能考証・指導を長年なさっている方です。
師の演奏に出会うまで私にとって琵琶は正倉院展で鑑賞する殿上人の楽器で格調高く、庶民には縁遠い邦楽という感覚でした。ところが、師の演奏と出会ってからは印象がすっかり変わりました。
師の演奏は華やかで口舌も明晰なため、初めて聞く方も詩の内容をイメージできるのです。素晴らしい演奏会でした。

伝統芸能を鑑賞する際の着物

私達着物愛好家はもちろんお客様の着物姿も関心があります。伝統芸能を鑑賞する際は着物で伺うと客席にしっとりと調和しますね。この日は附下と小紋の方が多かったように感じました。
お若い方は少し派手目の東京染小紋の方もいらっしゃいましたが、落ち着いたお召し物が多かったですね。
私は渋めの枯草色の青海波の江戸小紋に漆箔使いのこげ茶地に江戸情緒を伝える猪牙舟模様の名古屋帯を締めました。帯〆は道明製の御岳組を合わせてみました。自分で言うのもなんですけれど(笑)、能楽堂の格調高い雰囲気にぴったりのコーディネイトでした。

幸せなひと時

以前、やはり能楽堂の狂言の会の時にすぐ前の席に地唄舞のお家元がいらっしゃったことがありました。
内心「お家元様早くお立ちにならないかしら? 」と思ったものでした。お召し物を拝見したかったのです。
適度に薄暗い明かりの下での(老眼の私の)目視ですからあいまいですが、少し赤みのあるこげ茶色の結城紬にそそっと刺繍のしてある付け下げに辛子地にやはり刺繍の名古屋帯をお締めになっておられました。
その日はあいにくの雨模様で寒い日でしたから結城紬になさったのかしら? などと勝手に考えながら、素敵な着姿を目に焼き付けました。着物愛好家にとっては幸せなひと時でした。

〈日本舞踊の追善の会〉

暮れも押し詰まった12月27日、国立劇場に日本舞踊の追善の会に伺いました。こちらは追善とはいえ、やはり日本舞踊のお客様、関係者皆様は華やかですね。奥様(と思われる方)達は大抵の方が訪問着か附下をお召しでした。
また、お嬢様(と思われる)方は振袖の方もちらほらお見受けしました。
嬉しかったですね。だって、旧年のお正月以来ずっと振袖のお嬢様を見られませんでしたもの。

着物日和の良い日でした。

コロナ禍の3月の卒業式・謝恩会、4月の入学式、みんな全滅でしたから。お嬢様方も全員大きなマスクをしていますからお顔は分かりませんが、振袖姿の初々しさは発散されていましたね。
御召の着物の模様は様々です。草花風景の御所解模様調、扇面や菱などの古典模様、琳派の模様などどれもみなすっきりと素敵な着姿で、見ているこちらも充実の目福のひとときを味わいました。

この日は風もなく、暖かで、私の実家のある雪国の方には申し訳ないような着物日和の良い日でした。
旧年は着物愛好家の皆様が着物を着てのお出かけがままならなかったと思います。
暮れの押し詰まった日でしたが、伝統芸能を愛する方々と着物文化を愛好する方々が実際着物をお召しになれて本当に良かったと思いました。

「千年のたまゆら」

そして年明け2日には東京国際フォーラムで「千年のたまゆら」というミュージカル仕立ての歴史絵巻(?)を鑑賞しました。
奈良時代から平安、鎌倉、江戸時代までの伝統装束姿での音楽劇でした。位や身分によっての装束の違いなども分かりやすく説明がなされ、お客様は楽しく学ぶことのできた時間だったことでしょう。

旧年まで東京国際フォーラムでのお正月三が日は盛りだくさんのイベントがあり、海外からのお客様もいっぱいで大変な賑わいでしたが、本年は静まり返って、まるで別の空間のようでした。意外なことですが、着物姿はお見掛けしませんでした。一人だけだとちょっと寂しいものですね。
このやっかいなコロナウイルスが退散してくれたら、またいつもの日常が戻ってくれることを祈ります。

〈隅田川花火大会〉

今年は新型コロナの影響で花火大会や大規模な盆踊りイベントなどが中止になり、静かな夏となりました。例年でしたらこの時期は「今年の浴衣の流行は?」と、金曜、土曜の夕方や日曜日には町を行き交う若者の浴衣姿をウオッチしていました。なかでも7月最終土曜日に行われる東京最大のイベント「隅田川花火大会」の日は年に一度のエキサイティングな日でした。
7月最終週の土曜日はいつものように茶道のお稽古を終えてから地下鉄銀座線・上野駅の浅草行きホームのベンチに陣取るのでした。茶道の稽古は「冷水点(れいすいだて)」で千鳥茶巾(ちどりちゃきん)を用いる夏ならではのもの。冷たくておいしいお抹茶をいただき、爽やかな気分で上野駅に向かうのでした。

「浴衣ウォッチ」最大のチャンス

花火大会当日夕方の銀座線上野駅のホームは身動きできないほどの混雑ぶりです。
ほぼ2、3分おきに電車が入ってくるのですが、どの電車も浴衣の男女ではち切れそうなほど満員です。
もう窓ガラスに押し付けられて顔がひしゃげている人もいるくらい。電車が止まると降りたい人を通してあげるために、中にいる大勢の人がドアからいったんどどっと外に出てきます。
この時が「浴衣ウオッチ」最大のチャンスです。

大人気だった浜崎あゆみさんのように膝までの短い浴衣、首にジャラジャラと飾りを巻いている人、レースの足袋を履いている人など様々です。
もちろん正統派の伝統の藍染江戸浴衣やカラフルな注染浴衣、有松絞りの贅沢な浴衣、デザイナーズブランドの浴衣の方も大勢いらっしゃいます。

降りる人が済むとこんどはホームで待っている人がいっせいに、どやどやっと電車に乗り込みます。
まるで吸い込まれるように入っていきます。
乗り込めない人はドア付近でギュウギュウと押し込んで、本当にはち切れそうに込み合ったまま浅草行きの電車は出発するのでした。これが5時くらいから6時半くらいまでどの電車も同様の光景でした。

微笑ましいエピソード

いつも微笑ましく思っていたのは、カップルで行き交う方たちはたいてい男子も浴衣を着ていたこと。
「ギター侍」の波田陽区さんみたいな格好なのですが、それがかえって初々しくていい感じなのでした。
すると、帯の解けたお嬢さんが急ぎ足で一目散にこちらに向かってきます。解けた帯の端を持った男子がすぐ後ろをついてきます。どうしたのかしらと見ていると、「あの、帯がほどけちゃったんです。結んでいただけますか?」と、すがるように頼んできます。
可愛いですね~。私が着物を着ていて年配なので頼ってくれたのですね。
もう、「任せてちょうだい、お手の物よ」とばかりにすぐに結び直してあげて、「花火を見ているときにまたほどけたら、応急処置はリボン結びでいいのよ」などと言いながらサヨナラしていました。すると若い男女は人込みで見えなくなるまで後ろを振り返りながらお辞儀をしていました。

それからも何べんも解けているお嬢さんの帯を結び直してあげましたが、そのうち気づいたことがあります。
解けている帯はみんな合繊の帯でした。正絹の博多帯はほどけないことをここで知りました。
それまで、私は合繊の帯を締めたことがなかったので知らなかったのです。

その後、東日本大震災で中止、復活した年は途中暴風雨と雷で中止など様々ありました。
1年延期されましたが、今年はオリンピック・パラリンピックと時期が重なるため予定がありませんでした。
新型コロナを乗り越えて来年はオリパラが無事に開催されることを願いますし、再来年には隅田川の花火大会が開かれることを期待しています。

※地下鉄銀座線・上野駅のホームはきれいにリニューアルされて、和風モダンな素敵な感じになりましたが、柱が太くなって数も増えたため(贅沢言って申し訳ないのですけれど)浴衣ウオッチには不都合になりました。ベンチに座っていると見えにくくなったのです。一昨年は仕様がないので立ってウオッチしていたのですが、寄る年波でへとへとになり、昨年はお休みしてしまいました。
※どうして上野駅でウオッチして、浅草に行かないのか不思議に思われるでしょうか? それは、浅草まで行くとあまりの混みようで、ちびの私は踏みつぶされると心配なのですね。行ったが最後、帰ってこられなくなるといけませんものね。

〈富澤輝実子プロフィール〉

染織・絹文化研究家:富澤輝実子(とみざわ・きみこ)
1951年(昭和26年)新潟県生まれ。婦人画報社入社。『美しいキモノ』編集部で活躍。
副編集長を経て独立、染織・絹文化研究家として活動。誌面「あのときの流行と『美しいキモノ』」連載。
婦人画報社:現ハースト婦人画報社https://www.hearst.co.jp/

美しい着物編集部での活動

昭和48年:婦人画報社(現ハースト婦人画報社)入社、美しいキモノ編集部に配属。
入社した頃はまだまだ着物業界華やかなりし時代で、毎号超一流のカメラマンが超一流の女優さんをモデルに最高の着物姿を撮影してくださいました。
この時代は、貸しスタジオがさほどありませんから、ご自分でスタジオを構えているカメラマンのところに伺いました。
最も多く行ったのは麻布霞町(現在の元麻布)にあった秋山庄太郎先生のスタジオでした。
「本格派のきもの」というテーマでは大女優、名女優が毎号お二人出てくださいました。
当時の編集長がページの担当で私たち新人はアイロンかけのために同行。
当時のバックナンバーを見てみると、岡田茉莉子さん、十朱幸代さん、小山明子さん、星由里子さん、佐久間良子さん、三田佳子さん、司葉子さん、有馬稲子さん、岸恵子さんなど錚々たる方々です。

取材

産地取材:明石縮、伊勢崎銘仙、越後上布、江戸小紋、大島紬、小千谷縮、加賀友禅、京友禅、久留米絣、作州絣、塩沢紬、仙台平、秩父銘仙、東京友禅、西陣織、博多帯、結城紬、米沢織物など各地に。
人物取材:「森光子のきものでようこそ」の連載。森光子さんが毎号おひとりずつゲストを迎えて着物姿で対談をしていただくページで、浅丘ルリ子さん、池内淳子さん、千玄室大宗匠、中井貴一さん、人間国宝の花柳壽楽さん、東山紀之さんなど華やかなゲスト。

海外活動

娘時代から続けてきた茶の湯の稽古が思いがけず役に立つときがやってきました。
海外における「ジャパニーズ・カルチャー・デモンストレーション」のアシスト。
バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)、ベラルーシ、ロシア・サンクトペテルブルク
日本文化の普及活動のお手伝いをしています。

講師として

大学や専門学校で「日本の染織」「着物現代史」「世界の民族衣装」の授業を担当。
NHKカルチャーでは「着物の基本」をレクチャー。
早稲田大学の「早稲田のきもの学」の講師。

〈会社案内〉

水持産業株式会社
https://www.warakuan.jp/
〒933-0804富山県高岡市問屋町20番地
TEL:0120-25-3306

理念:世の為、人の為、共に働く仲間の幸福と成長のために

目標:着物で笑顔がいっぱいに、地域に愛される会社・最大売上最小経費を実践し、次世代(みらい)へ繋ぐ

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