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茶事設え:裏千家正教授 藤井宗悦 茶道道具|わらくあんみずもちsicne1941 富山

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〈茶事設え:一月〉

一月初釜 広間

床間:有栖川宮幟樋仁親王御懐紙 竹和歌
千代ふとも萬代ふともくれ竹の みどりのかげはかわらざりけり
花:山茱萸 紅白椿
花入:古銅 龍耳付 坐忘斎御家元箱
香合:白虎 長左エ門造
釜:鵬雲斎大宗匠好 鶴雲 同箱 與斎造
炉縁:鵬雲斎大宗匠好 四季装花蒔絵朱 同在判箱 玉栄造
風炉先:鵬雲斎大宗匠好 踊桐透 同在判箱 二代好斎造
長板:真塗 近左造
皆具:紫交趾宝尽絵 淡々斎箱 即全造
薄器:赤富士松原蒔絵平棗 沼津御用邸の古木を以て 雅峯造
茶杓:淡々斎作 銘 千歳の松 共筒箱
茶碗:祥瑞写 松竹梅絵

寅年の初釜の道具組です。虎と言えば日本人は竹林をイメージしますので、床には竹の歌を用いました。無論何かで虎を表したいので、白虎の香合を竹の掛物の下に置いて「竹林の虎」といたしました。又、花入に古銅龍耳を配して、龍虎の対座といたしました。

  
更に釜の鶴地紋に加え、天帝のおわします北斗紫微垣(しびえん)の色の紫の地色に宝尽を鏤めた皆具や、初日の出に染まったような赤富士や、長寿の松を寿ぐ茶杓の「千歳の松」、加えて東海の蓬莱山に生えるというめでたい「松竹梅」と縁起の良い言霊で溢れさせて、年初にその年の平穏無事を願いました。


さて、掛物の有栖川宮幟仁親王(ありすがわみやたかひとしんのう)御懐紙、竹和歌について説明いたします。
有栖川宮家は霊元天皇より宸翰様書体を伝授された五代職仁(よりひと)親王(霊元天皇十七皇子)が、更に典雅な工夫を加えて有栖川流書道を創始し、家学として和歌と共に代々受け継ぐ家です。殊に八代幟仁親王と九代熾仁(たるひと)親王は、明治天皇に書道と歌道を、また昭憲皇太后に和歌の道を伝えました。また幟仁親王は明治元年に出された「五箇条の御誓文」を書かれた人として知られています。
一般的には和歌の懐紙は、歌会を催すに当たり同じ歌題を参加者一同が詠む為に、「同」と言う文字が季節と歌題の間に入って端作りが形成されます。しかし個人で頼まれて書いた懐紙には題しか書かれていないことがあります。この懐紙は幟仁親王の和歌であり書でもあります。題も「竹」と有るだけなので、遊びで書かれたり頼まれたりした物と推測できます。よって文字配りも約束から離れて自由ですが、内容は御所清涼殿東園に植えられている呉竹を詠んだもので「天皇の御代が千年たっても萬年たっても、呉竹の輝きと同じで変わりません」と天皇家の弥栄を称えています。また皇族の異称として「竹の園生」とありますが、出典は中国の故事からのようです。

 

 

〈協力〉
茶道監修:裏千家正教授 藤井宗悦
撮影コーディネート:淡交社
ロケーション:平野の家 わざ 永々棟 広間
撮影:studio Collection 代表 西岡照矢

一月 小間

床:大綱宗彦筆 寿老人画賛 観之人延命
脇:掛蓬莱飾
花:紅妙蓮寺椿
花入:唐銅 龍耳付 二代與斎造
香合:白虎 長左エ門造
釜:丸釜
炉縁:桑
水指:真塗手桶 淡々斎在判箱
薄器:赤富士に松原蒔絵平棗 沼津御用邸の古木を以て 雅峯造
茶杓:鵬雲斎大宗匠作 銘 寿福 共筒箱
茶碗:赤 銘 楽日 鵬雲斎大宗匠箱 了入造
建水:淡々斎好 唐銅 口糸目 同箱 浄中造
蓋置:青竹引切

お正月の設えは、その一年の家の弥栄や家族の無事を願い、めでたい言葉や意匠を揃えます。寿老人・福禄寿・蓬莱は長寿を、また干支や勅題に因む道具などでその年らしさを表します。
さて、今回の床脇の掛蓬莱について説明いたします。
中国の思想に「神仙思想」があります。中国の東海にある仙人の住む島があり、そこにある山を蓬莱山といいます。この島には松竹梅が茂り、空には鶴が飛び、海には緑毛の亀が泳ぎ、また仙人たちはそこで不老不死の薬を作っているという伝説があります。秦の始皇帝は徐福に命じて東海に不老不死の妙薬を探させたとあります。これら「松・竹・梅・鶴・亀」に加え、日本の伝統的主産業である養蚕や稲作の象徴である「雄蝶・雌蝶(蚕)」や「稲穂」などで作った縁起物を蓬莱山といいます。例えば正月のお飾りや鏡餅も蓬莱山の一種です。
神話に岩戸伝説がりますが、天の岩戸に隠れた天照大神を誘い出すために、アメノウズメノ命が襷がけにしたのが「日陰の蔓」であり、邪気を祓う力を持つ神聖な植物とされます。祭りの時に神職方が身に着けているのをよく見かけますが、古来日陰の蔓を雄蝶雌蝶の折形に挟み、松竹梅鶴亀の吉兆を飾って、掛ける蓬莱山と言う意味を持たせて「掛蓬莱」として床や脇に飾った縁起物です。因みにアメノウズメノ命が手に持って振ったのが「オガタマの実」であると言われ、この実の熟した形が、神鈴の原形と言われています。


また掛物の大綱宗彦筆、寿老人画賛ですが、寿老人とは南極老人星(竜骨座のカノープス)の化身と言われています。南極星は人間の寿命をつかさどる星で、長頭で杖の頭に巻き物をつけ、団扇を持って鹿をつれています。日本では七福神の中の一人とされており、同じく七福神の一人の福禄寿は、見た目がほとんど同じです。それは寿老人同様に南極星の化身で有る為で、こちらは鶴を伴っています。共に長寿の象徴であり、この画賛で寿老人が指さしているのは南極星であると思われます。
  

 

〈協力〉
茶道監修:裏千家教授 藤井宗悦
撮影コーディネート:淡交社
ロケーション:ちおん舎
撮影:山平舎 代表 小林正和

〈茶事設え二月〉

極寒の季節ではありますが、二十四節気の立春を迎え、暦の上では名ばかりの春が到来します。実際には地域によっては、雪に閉ざされ冬籠りを余儀なくされ、北國ほど春の待ち遠しさが募るのでしょう。梅一輪を、鶯の初音を、雪間の草の萌え出ずる瞬間を心待ちにしながら、太陽暦の年の初めを寿いでいます。

床:鵬雲斎大宗匠筆 御一行 閑坐聴松風
花:木瓜 白玉椿
花入:信楽 筒 護光造
香合:又玅斎手捏 菅公一千年祭記念 宝珠
釜:利休丸 浄寿造
炉縁:沢栗
水指:斑唐津 一重口 東也造
棗:唐松蒔絵錆塗大棗 鵬雲斎大宗匠在判箱 五代近左造
茶杓:又玅斎作 銘 鶯笛 共筒箱
茶碗:乾山写 雪松絵 即全造
建水:鵬雲斎大宗匠好 唐銅 箪瓢 同箱 十三代寒雉造
蓋置:青竹引切

さて、今回のお道具の中で、又玅斎手捏、赤楽宝珠香合について説明いたします。菅原道真公が讒言により大宰府に左遷され、忿怒の内に薨死した(903年)為に、彼の死後おきた様々な災害が、道真のお怨霊に因るものとして、怨念を鎮める為に天満大自在天として神格化して祀りました。1902年が菅公没後千年として千年祭が執り行われましたが、この時に献茶式が奉納され、その時又玅斎の手捏ねの宝珠形香合が配られたようです。赤楽の宝珠に白梅と松葉が描かれていますが、宝珠は如意宝珠でありどのような願いも叶う宝です。道真公が何よりも欲しかったかもしれません。模様は神殿前の左右に植えられている梅と松であろうと推測されます。

また芝居の「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」は、菅原道真をモデルとして描かれていますが、その中で桜丸、松王丸、梅王丸と名付けられた三つ子が活躍しています。これは道真が別れを惜しんだ「梅 松 桜」が道真の左遷を嘆き、桜は枯れ、松は大宰府に飛んでいく途中の神戸辺りで落下(飛松伝説)しましたが、梅だけは無事に大宰府に飛んだという伝説に因ると思われます。

また二月は茶家では大炉を開きます。玄々斎が咄々斎の次の間に、暖を摂る為に一尺八寸四方の大きな炉を設けました。この炉を最初に披露したのは、知恩院の宮様が今日庵に御成になった時で、抛筌斎の上段の席から御覧になられる宮様に、あえて市中の山居の趣向で炉縁は丸太、また水指も「ヘゴ薬缶」と言うデコボコに表面を叩かれた水次を使って、侘びた道具組をされています。此の茶席でも信楽や斑唐津や錆塗の棗を使うなど、侘びた道具を用いています。
     

〈協力〉
茶道監修:裏千家正教授 藤井宗悦
撮影コーディネート:淡交社
ロケーション:ちおん舎 小間
撮影:山平舎 代表 小林正和

〈茶事設え三月〉

床:狩野晴川院筆 立雛画賛
花:鶯神楽 曙椿
香合:時代 貝合 鵬雲斎大宗匠箱
釜:霰棗形 與斎造
炉縁:菊桐蒔絵 淡々斎在判箱
風炉先:淡々斎好 雪月花裂 同在判箱
棚:淡々斎好 誰ケ袖
水指:新渡染付 菱馬 道光年製
薄器:時代 扇面蒔絵平棗
茶杓:淡々斎作 銘 若緑 共筒箱
茶碗:乾山写 春草絵 即全造
建水:鵬雲斎大宗匠好 唐草彫 十三代寒雉造
蓋置:南鐐 五徳 淡々斎箱 彦兵衛造

雛祭りは一部地域を除いてほぼ新暦3月の行事になりました。月の暦ならばもう少し遅く、年に因りますが桃や桜が咲いています。掛軸の立雛の後ろに桜が描かれているのはそのことを物語っています。賛の和歌は「立雛に先輩夫婦の仲睦まじい姿を見習って、今日の日を祝おう」と詠っています。貝合わせや、雛の袖や、雛霰、菱餅、檜扇、若草(新妻も表す)などなど、雛祭りに因む事柄で満たしています。
雛祭りの雛は「ひいな」と古語では読みます。鳥の雛など幼いとか小さい意味から、小さい玩具を意味します。平安時代には子供の身代り人形として、這子(ほうこ)や天児(あまがつ)という着せ替え人形から派生して、公卿の姿の人形に発展し、やがて紙の立雛や作り物の座り雛に発展し、江戸時代後期には段飾りも現れます。
内裏雛の雄雛女雛の飾り方は陰陽五行の観点から、南面している人形に向かって右(東側)が雄雛であり、左近の桜も同じです。つまり東側は陽として男性や春を表し、春に咲く桜も男性の象徴です。よって向かって左(西側)は陰となり、秋であり女性であり実(子)を多く実らす橘です。

旧暦三月三日は大潮で有る為に海で禊をし、合わせて潮干狩りをします。三月の茶会で海松波(みるなみ)や貝合わせなどの意匠を取り合わせるのもその為です。

また、炉縁の意匠である菊桐蒔絵について説明いたします。
晩年隠岐の島に流された後鳥羽上皇は、菊の花を愛し、身の周りを菊花の意匠で満たしたと伝わり、「十六葉八重表菊」が皇室の紋となりました。また聖王が現れると出現すると言われる「鳳凰」が住むのは桐の木であるために、桐紋も天皇家の副紋となりました。よって菊も桐も天皇家の紋でした。鎌倉時代に鎌倉方と戦った後醍醐天皇は、鎌倉方を裏切って天皇側に就いた足利尊氏に褒美として菊桐の両紋を授けましたが、再び尊氏が天皇を裏切ることになったので、さすがに菊花紋はお返ししたと伝え聞きます。後に桐紋は天皇から武家に下賜されて、豊臣家などが家紋としました。世に菊桐紋の蒔絵は「高台寺蒔絵」と称されますが、秀吉が太閤となって菊花紋を許されたために、北政所の御霊屋の蒔絵の中に見えるからでしょう。しかし御霊屋の蒔絵は秋草や花筏が見事です。
  

〈協力〉
茶道監修:裏千家正教授 藤井宗悦
撮影コーディネート:淡交社
モデル・着付:和装着付 おとは 代表 平野恵未
ロケーション:平野の家 わざ 永々棟
撮影:studio Collection 代表 西岡照矢

〈茶事設え:四月〉

春爛漫の季を表すのに桜は欠かせません。桜は満開の時季を愛でるだけでなく、日本人にとっての心のふるさとに咲く花ともいえるでしょう。四月のお茶席ではぜひともこの桜を楽しみたく、白井半七が満開の桜を表現した手桶水指を点前座に据えました。お客様それぞれに各地の桜の名所を思っていただければ幸いです。
『伊勢物語』に渚の院(現大阪府枚方市)での桜狩りが描かれた段があります。文徳天皇の第一皇子であった惟(これ)喬(たか)親王が在原業平らを伴って水無瀬の宮に遊びますが、対岸の交(かた)野(の)にある渚の院を訪ね、格別に美しいといわれた満開の桜を愛で歌を詠み合いました。このときに業平が詠んだのが、有名な「世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」という歌です。のちにこの『伊勢物語』の話をもとに藤原俊成卿が「またや見む交野の御野の桜狩り 花の雪散る春の曙」と詠んでいます。この歌を背景に持つ裏千家十四代淡々斎の茶杓「花の曙」の銘で、水指の桜の示す地が渚の院であると思えると茶席がいっそうに楽しくなります。
 
平安時代、桜といえば現在多くの人が思い浮かべるソメイヨシノではなく山桜でした。山桜は春に紅葉かと見まごう赤い若葉とともに咲く様子が美しく、あえて赤い茶碗を添えて山桜をイメージしていただきます。またその銘「幾千代」に末長い命と繁栄の願いを込めます。
 
床は裏千家十四代淡々斎の揮毫による絵賛で、『和漢朗詠集』の「春興」に取り上げられた菅原道真の孫、菅(かん)三(さん)品(ぽん)(菅原文時)の漢詩「笙歌夜月家々思 詩酒春風處々情」の後半よりとられています。春の夜に各家々では酒や歌や詩や楽器を楽しみ、春の月や花を愛でます。淡々斎は文字を散らしてほろ酔いで書いた風情を表し、所どころに桜の花びらを描いて存分にこの文言を愉しんでいます。
 
花入には「春興」の笙の楽器にかけて横笛を用いました。花は掛物の中で散っていますので、花を入れずに空で掛けておくのもまた趣きがあってよいでしょう。

朝焼けの富士が蒔絵された平棗は、沼津御用邸の材で作られ、仰ぎ見る山に常盤の松が天皇家の弥栄を願います。ここでは、東下りの途で業平が夏の季節に残る富士の雪を見て驚いたくだりを匂わせます。雪ももちろんですが、富士山を「比叡山を二十くらい重ね上げたほど」と表現しており、その雄大さにもさぞ驚いたことでしょう。実際には二十というのはかなり大げさですが、何とかして初めて見た富士山への驚きを伝えたいという気持ちは現在に通じるものがあって興味深く思われます。この場面は画題としても好まれ、日本画や美術品などの図柄として見ることができます。
 
建水は、淡々斎好みの口糸目建水で、糸目の十四本が十四代の家元であることを表します。文徳天皇の第一皇子として生まれながら母親の出自が原因で天皇になれなかった惟喬親王の口惜しさとも捉えることができます。

点前座の釜は、四月なので透木釜としました。翌月には風炉となるこの時季、そろそろ炉中の火に暑さを感じる季節です。火伏せをして夏が近いこと、季節の変わり目であることを表します。
四季七宝蒔絵の炉縁には、一年を思いのままに豊かに過ごした公達に心を寄せていただければ幸いです。
  

〈協力〉
茶道監修:裏千家正教授 藤井宗悦
撮影コーディネート:淡交社
ロケーション:おおきに迎賓館 紫明出雲路邸
撮影:tudio Collection 代表 西岡照矢

〈茶事設え:五月〉

五月になると水辺には杜若が群生します。この杜若を、裏千家十一代の玄々斎が「業平」と在銘した竹の舟形花入に入れました。
都にいられなくなった在原業平が東へと旅をする東下りは『伊勢物語』で周知のことです。業平一行は、愛知県の知立で八橋と杜若を楽しみます。五月のお茶会の趣向にはこの東下りを選びました。幾山河を越えて行った一行が辿る山路の景のさまざまを道具で表します。
  

水指にしたアポロンの模様のサラダボールには、流水にも雲にも銀河にも見える金の蒔絵をした蓋を作ってもらいました。業平の東下りは初夏から夏にかけての武蔵の国に旅をしています。炎天下の旅は、今と違って大変だったことでしょう。そこで太陽神アポロンの絵付けで夏の日差しを表しました。蓋の蒔絵は、ここでは遥かな旅路を思わせてくれます。暑い夏ですが、蓋を取れば満々と水を湛えた湖畔や川辺や湧き出ずる泉に、ひとときの涼に安息する業平一行を思い起こさせてくれることでしょう。

貴族の業平が手に持つのは「かわほり」と呼ばれる扇でしょうが、それでは涼を取るほどの風は望めません。黒仁清の団扇絵の茶碗で心地よい涼風が吹いてくるようにと添えました。

棗の蒔絵は、旅路を行く空に飛び行く雲を表します。この棗は申年生まれの裏千家の坐忘斎御家元が孫悟空の乗る「觔(きん)斗(と)雲(うん)」をイメージして作らせたと聞き及びました。たとえひとときでも、日差しが雲に隠れれば暑さを少し凌ぐことができるでしょう。

東下りの途中には、幾多の河を越さなければなりません。水かさが増せば足止めとなることでしょう。江の向こうには遥々と続く山並みがあり、都育ちの業平一行は随分遠くへ来たものだと思ったのではないでしょうか。江上に数々の山々が浮かぶように続く景観を掛物の中に表してみました。釜は浜松地紋の富士形で、点前座にも海辺から遠く望む富士山を表しています。

そして、裏千家十五代の鵬雲斎大宗匠好みの竹香合には、波の上を飛ぶ千鳥が彫られています。業平は伊勢の海で、「うらやましくもかへる浪かな」と、都に戻れない我が身を嘆きました。海沿いの旅ではいろいろな浜辺で、自分も波のように元いた場所である都に帰りたいと願ったことでしょう。

色とりどりの恋に生きた業平ですが、生まれは桓武天皇の第一皇子である平城天皇の孫で、その人物は気品があり、華やかな趣きを持っていました。お菓子には、その意を持つ「にほひ」の名をつけました。

〈協力〉
茶道監修:裏千家正教授 藤井宗悦
撮影コーディネート:淡交社
ロケーション:おおきに迎賓館 黒門中立賣邸
撮影:studio Collection 代表 西岡照矢

〈茶事設え:七月〉

新暦の七夕は梅雨どきのため星を見ることは難しいのですが、家々で行う七夕の行事はこの時季ですっかり定着しました。そのため、本来は初秋の行事である七夕の趣向を七月の茶席に取り入れてみました。
 

 

点前座は裏千家十一代玄々斎が創案した葉(は)蓋(ぶた)の点前のしつらいです。七夕に催した茶事でしたので、当時手もとに届いたばかりの末広籠花入の受筒の金箔を色紙・短冊に見立て、七夕には不可欠な梶の葉を蓋として水指にした玄々斎の美意識と機転に敬服します。
梶は、織女が織る天帝の神(かむ)御(み)衣(そ)の材料でした。今でも京都にある冷泉家では、糸に関するものには必ず梶の葉が飾られています。
中国から七夕の行事の乞巧奠が伝わると、宮中でも盛んに行われるようになりました。乞巧奠は、もとは織女星にあやかり、機織り仕事の上達を祈る行事でしたが、日本では果物や野菜、五色の布や糸、和琴、琵琶などを供えて、雅楽や和歌などを手向け、それらの技が巧みになるようにと願いました。また、梶の葉に墨で願いごとを認め、水を張った角(つの)盥(だらい)に浮かべたといわれています。昔は七夕の星はもとより、秋の月も見上げるのではなく水に映して見たため、角盥が用いられていたのでしょう。
現在も冷泉家の乞巧奠では、笹を左右に立てて糸を渡し、そこに五色の糸を垂らして梶の葉をつけ、祭壇を設けて二星に瓜、茄子、桃、梨、空の杯に大(さ)角(さ)豆(げ)、蘭(らん)花(か)豆(ず)、蒸し鮑、鯛のほか、和琴、琵琶、五色の反物と糸、和歌を記した短冊、秋の七草、梶の葉を浮かべた角盥が供えられます。
江戸時代になると笹立ての形式となり、そこに供え物を紙で模して作ったものや、願いごとを記した短冊を吊るすようになりました。茄子や瓜の飾りは乞巧奠の供え物の名残りなのです。

棗は波車蒔絵で天の川の水面を表し、笹立てのイメージで竹の絵の茶碗を取り合わせました。茶杓の銘は「手に手」。一年に一度しか逢えない織姫と彦星が手に手をとった睦まじいさまを表します。

床は、江戸時代前期の歌人、中院通茂卿の「七夕同詠二星契久和歌」(七夕(しっせき)に同じく「二星の契り久しき」といえることをを詠める和(やまと)歌(うた))の懐紙です。男性による懐紙の書きかたには、九・十・九・三字とわけて書き、最後の三字は必ず万葉仮名(漢字)で書くという約束があります。
花入は糸をたたいてやわらかくする砧の形、香合は団扇に柳蒔絵で涼しさを表しました。
 
またお客様にお出しする干菓子器は機を織る織女を偲んで糸巻盆とし、莨盆はもとは短冊箱の形といわれる文箱で、短冊に歌を記して和歌の上達を願った古人に思いを馳せます。

〈協力〉
茶道監修:裏千家教授 藤井宗悦
撮影コーディネート:淡交社
モデル・着付:和装着付 おとは 代表 平野恵未
ロケーション:玄想庵
撮影:studio Collection 代表 西岡照矢

〈茶事の設え:八月〉

暑さを感じる季節の点前座は、涼しい風を感じていただけるようにしつらえます。
八月は、風炉の火の熱気にさえも暑さを感じる残暑の頃なので、火気の小さな瓶掛で暑気払いをしたく、茶箱の席としました。銀瓶の色からも涼しさが感じられます。建具の襖を簀戸に替えた八畳の広間に、裏千家十一代の玄々斎が好んだ芦透かしの風炉先を置き、風を演出しました。

茶碗は妙全による呉須赤絵で、もとは向付として作られたものですが、少し開いた姿をしているので夏茶碗に見立てて使いました。
芋の子茶杓の櫂先が笹葉になっているのも、風の起こす葉擦れの音や水に流れる笹の葉を連想させます。
 
建水は瓢形で、瓢とは瓢箪のことです。容器として、また秀吉の馬印として有名な瓢箪ですが、久隅守景の描いた国宝「夕顔棚納涼図屏風」のように、簡素にしつらえた夕顔(瓢箪)の棚を日陰として涼をとることは、庶民の暮らしの中でよく見られる光景でした。

床の掛物は、裏千家十四代淡々斎の流水絵賛です。絵賛というのは、絵と絵に対しての文字が書かれたもので、ここには流れに打たれた二本の杭と水流が描かれ、「涼氣繞」(涼気繞(めぐ)る)の三文字があります。濃淡の墨で表された杭とその周囲を流れる水の風情は、見た目にも涼やかで、お茶席に澄んだ静寂と涼を運んでくれます。淡々斎は奥谷秋石に絵を学んだ絵の名手でもあり、一行物だけでなく絵賛も多く遺しています。
 
唐物籠写の花入には、京鹿の子、桔梗、小葉の髄菜などの草花を軽やかに入れました。

香合は団扇形で、水面にせり出した青楓と流水が描かれています。

エアコンのなかった時代、目から涼しさを感じることは暑い季節の何よりのごちそうで、お茶席のもてなしにも大切なことでした。日本には言霊信仰があるので、「暑い」と言えばさらに暑くなりますが、「涼しい」と言えばいっそう涼しさを感じることができます。そのため、「風」「水」などのキーワードのもと、お茶席ではさまざまな趣向が凝らされ、涼しさの演出がされています。
お菓子も同様で、透明感が涼を感じるものとして好まれ、義山(ギヤマン)というカットガラスの鉢、葛などを用いたお菓子は暑い季節によく見られます。今回は切子の鉢に百日紅の赤い花を葛菓子としてお出ししました。

〈協力〉
茶道監修:裏千家正教授 藤井宗悦
撮影コーディネート:淡交社
ロケーション:老舗和菓子屋 鶴屋八幡
撮影:studio Collection 代表 西岡照矢

〈茶事設え:九月〉

まずは、秋草蒔絵の手桶水指で、初秋の茶趣を表してみました。
点前座には、手桶の水指と並べてバランスのよい鶴首の釜を据えます。
秋、たくさんの花が咲き乱れる野原を「花野」といい、秋の季語となっていますが、秋の花には春のそれとは、また違った風情が感じられます。香合にも秋草が描かれ、茶席にもすっかり秋の野が広がりました。
仲秋の野辺や山路を辿るとおちこちに集(すだ)く虫の音が心地よく、涼やかな風とともにたくさんの花々が迎えてくれます。また夕暮れが近づけば雲間に漏れる月影が清々しいものです。
茶杓の銘は「山路」、茶碗の銘は「山路に湧く雲」の意味を持つ「ケイ雲」で、山路を辿り野辺を行く――虫の音を聞きながら夕暮れの山路を逍遥する――風情を茶席に演出しました。
  

 
床には花包形の花入に、秋の七草の一つである「アサガオ」を入れました。古名としての「アサガオ」がさす植物が何であるかについては諸説あり、その中から槿と桔梗の二種としました。
朝顔は奈良時代に遣唐使によってその種が薬として持ち込まれ、薬用植物として栽培されました。中国名は牽(けん)牛(ご)といいますが、中国の古典によると、牛と朝顔の種を交換したことに由来するとされています。またほかに七夕の頃に美しい花を咲かせることが由来であるとする説もありますが、この中国名の「牽牛」が、日本名での別名を「牽(けん)牛(ぎゅう)花(か)」とする由来となっています。
ところで花入の花包とは、本来は七夕(たなばた)花(はな)扇(おうぎ)を模して作られたものです。七夕花扇とは、薄、桔梗、仙翁花、白菊、小車(おぐるま)、女郎花、蓮などの色とりどりの秋草を束ねて檀紙で包み、水引で結んで扇形に作ったものであり、古くは、七夕の日に近衞家から宮中に届けられていました。帝はこれを軒に吊るしたり、また池に浮かべて二星とともに眺めて愛でたといいます。本来七夕は秋の行事であったため、秋草を入れているのですが、現在の新暦では夏であるため、ここでは秋の草を包む花包みということで、秋の取り合わせとして床に掛けました。
 

〈協力〉
茶道監修:裏千家正教授 藤井宗悦
撮影コーディネート:淡交社
ロケーション:京懐石美濃吉本店 竹茂楼
撮影:studio Collection 代表 西岡照矢

〈茶事設え:十一月〉

床:鵬雲斎大宗匠筆 横物 白雲繞紅樹
高取茶壺
花入:淡々斎 竹一重切 銘 萬里
花:紅妙蓮寺椿

奥山の木々が赤く染まる晩秋のころ、雲や霧が立ち込める間に間に見え隠れする紅葉の様は日本人の琴線に触れます。横山大観の朦朧体(もうろうたい)の山の絵を思い浮かべてください。幾重にも千里萬里と列なる山々を覆い隠す白雲に、見え隠れする紅葉は、漆や櫨(はぜ)や七竈(ななかまど)でしょう。鹿の鳴く音を心に聞けば、冬の到来間近の山里が思い起こされます。
この頃茶師から届いた茶壺の口を切る口切の茶事が行われます。懐石の間にシューシューと茶臼でお茶が挽かれ、再び口が封印された茶壺は組紐によって真行草の形に装飾されて後入りの床の間に飾られます。口切の茶事に招かれるのは茶人の無上の歓びです。此の日、呂宋の茶壺による口切なれば、客としては色留袖や色無地の三つ紋付など、意義を正した服装で伺いたいものです。そこまででも無いと伺っても、やはり紋の付いた着物で伺うのが礼儀でしょう。
その茶壺ですが、昔は晩春に摘んだ新茶は碾茶にされて、氷室などで熟成された物が、各茶家が茶商に預けた壺に入れられて、晩秋頃に茶家に届けられたそうです。古い茶壺の底には、墨書で花押などの印が付けられて、持主が分かるようになっています。呂宋の真壺を最高品として、様々な茶壺を茶人は求めました。いわゆる四耳壷と呼ばれる四つの乳に紐を通して、口を切った後の茶壺を美しく飾ります。
口切の所作は神聖である為に普通の茶会には行いませんが、その精神は伝えたいと茶壺だけを飾ることがあります。網で結んで飾ると初入りの姿なので、飾紐を真行草の姿に結んで、後入りで口切が済んだ姿になります。
    

〈協力〉
茶道監修:裏千家正教授 藤井宗悦
撮影コーディネート:淡交社
ロケーション:おおきに迎賓館 紫明出雲路邸
撮影:山平舎 代表 小林正和

 

〈茶席の着物と和敬清寂〉

お茶歴史がはじまったころから、着物は今日のような小袖という形に落ちついてきました。
お茶と着物が、それぞれの時代を経て、洗練されつくしてきたといえます。
着物とは深いつながりがありますが、当時の茶人は、表立っては男性でしたので、正式には実徳を着ます。
流儀によっては袴をつけるといった約束事がありました。しかし、婦人の着るものには、特に難しい決まりはないと聞いています。
それなら何を着てもいいかというと、やはりお茶という「和」と「清」のひとつの世界を生活の中に求めるのですから、その調和を乱すようなきもの姿にならないように心がけたいと思います。
ほんとうに茶道の心得の深い人は、他人の服装をあげつらうこともないと信じますが、その場にふさわしいものを着なければ、ひとり浮きあがってしまうこともありましょう。ときには、主催する方へ失礼になることもあります。
前もって、主催者や先生、同席する人々と打ち合わせることが大切です。
紋を付けたきものを着ることで、相手に対する「敬」の精神を表現することにもなります。
着物と帯のとりあわせで、格式を守ることもできます。
お茶を習う女性が着物選びをするのに、茶会の趣旨を考えて、茶室の広さに応じ、時候に合わせた装いをすることは大切なことで、これもお稽古のうちと思います。
年月とともに洗練され、やがて迷わないようになり、着物姿の動作にもしっとりとした味わいが自然に身について、茶室の「寂」を感じるようになるのではないでしょうか。

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