黒留袖と訪問着の現代史:富澤輝実子 |わらくあんみずもちsince1941 富山
〈黒留袖のちょこっと現代史〉
振袖の袂を詰めたのが留袖!
留袖は広く知られているとおり、振袖の袖を短く詰めて縫い留めたところから始まったもので、東京国立博物館名誉館員の故北村哲郎先生が共立女子大学教授時代にたびたび執筆と指導をいただいたのですが、それによれば、江戸時代の文献には嫁入り祝言当日の色直しに白振袖から「とめ小袖」に着替えとあるそうです。現在ではなくなったかもしれませんが、20~30年前ほどまでは「黒留袖」のことを「小袖」と呼んでいたご年配の方もいらっしゃいました。「黒留袖」は「とめ小袖」だったことが分かります。
黒が最高の色となったのは!
黒が正式とされた時期は不明のようですが、明治以後に始まったことではないかと北村先生は推論しておられます。そして、江戸時代の婚礼ではすべて薄色は忌色(いみじき)とされていたために、最も濃い色である黒を最高の色と考えたのかもしれません。
明治から大正時代の婚礼写真を見ますと、花嫁は黒地替え袖模様(袂にのみ模様)五つ紋付裾模様の振袖に角隠しの麗しい姿が多く見られます。
紋の大きさ!
紋の大きさは現在のもの(直径約2センチ)よりも大きく(直径約3センチ)、上半身に家紋だけでも十分意義を正した礼装の品格を感じさせます。
重ね下着が比翼に!
留袖は、必ず白の重ね下着(襦袢ではありません、念のため)を着用しています。これは現在簡略化されて、衿、袖口、振り、裾に白羽二重(しろはぶたえ)の付け比翼として残り、伝統をつないでいます。
現在、既婚女性の第一礼装は黒留袖が決まりです。
黒留袖は黒地五つ紋付裾模様のことで、上半身は家紋だけで模様はなく、下半身にのみ模様が施されています。
黒留袖と江戸褄は同じ!
同じように黒地五つ紋付裾模様に用いられている別の名称に「江戸褄」(えどづま)があります。江戸褄は江戸時代にできた模様付けの一種とされていまして、左右両方の褄(衿下)から裾に模様の付いた黒地五つ紋付をいっています。芸者衆の座敷着として広く知られており、現在でも、芸者衆はお正月の出の着物にこの衣装を着用します。一般の方々は黒留袖という名称で用いられます。
黒留袖の需要と戦後のベビーブーム世代と共に!
黒留袖の需要が最高潮に達したのは昭和50年頃でした。一つの結婚式場で年間5,000組の挙式があったという時代です。
大安と日曜、祝日が重なると一日におよそ50組の挙式があったといいますから大変なことです。ほとんどの結婚式では勤務先の上司などに仲人を頼む「頼まれ仲人」が一般的となっていました。
仲人夫人は花嫁に次ぐ準主役(花嫁のお色直しの際、手を引いて導く役目)の立場ですから、格調高く華やかで重厚な黒留袖が必要だったのです。しかもご主人の部下は戦後のベビーブーム世代ですから、次々結婚します。すると、披露宴のお客様のなかで新郎新婦の同僚はいつもほとんど同じ顔触れということになります。仲人夫人はいつも同じ黒留袖というわけにはいかず、何枚も作ることになったのです。
嫁入り支度の箪笥に必ず一枚!
それ以上の需要は、昭和はまだ嫁入りのお仕度に黒留袖と喪服は必ず持つ時代でしたから、「お仕度」の需要が大変大きかったのです。嫁入り支度の黒留袖は兄弟姉妹や従兄弟・従姉妹などの結婚式で着て、その後は箪笥の中に保管されています。次に着る機会はわが子の結婚式ですが、もうその時には嫁入りで持って来た黒留袖は「若くなって」着られないのです。そこで、年代にふさわしい色柄の一枚が必要になり、あつらえたのです。
〈黒留袖の着用シーンと着こなし〉
黒留袖の着用シーン!
結婚式・お稚児さん・和のお稽古のお相伝や舞台
結婚式:通常は婚礼の場で新郎新婦の母親、祖母、伯母・叔母、既婚の姉妹、既婚の従姉妹などが着ます。それ以外の一般のお客様は着られない着物ですので、濃い身内の方は是非お召しいただきたいものです。
胸の大きくあいたパーティドレスのお似合いになるミセスもおられますが、困ったことに西欧のパーティドレスでは肌を見せたデザインのほうがフォーマルなため、華奢な日本女性はあばら骨や首のシワが目立ってしまうのです。大抵の方は胸のあいたドレスよりも留袖のほうが品格と優雅さを感じさせる着姿となります。
婚礼以外の場面としては、お稚児さん、和のお稽古(茶の湯、日本舞踊、邦楽など)のお相伝や舞台などで着用されています。
黒留袖の模様!
おめでたいとされる、松竹梅、鶴亀、宝尽しや御所解き模様、琳派模様、鳳凰、扇面、几帳、御所車などの華やかで優美なものが多く見られます。
黒留袖の帯合わせ!
留袖用として、一般の帯よりも格調高い色柄の立派な袋帯が用いられます。模様は吉祥の意味合いのある松竹梅、宝尽し、亀甲、蜀江(しょっこう)、鳳凰、菱、格天井、正倉院華文などが合わせやすいようです。帯の地色は:金、銀、白金など。
〈訪問着のちょこっと現代史〉
訪問着は現在、祝賀会、パーティ、お茶会など晴れやかな席でほぼ万能のきものとなっています。ですが、その始まりは意外に遅く、五つ紋付裾模様に比べるとずっと最近です。ちょっと歴史をお話ししてみます。
生活簡略化の流れ!
裕福な階層では長く五つ紋付裾(すそ)模様の二枚襲(かさね)を婚礼からお出かけ着までの礼装として着用していたのですが、明治末から大正にかけての「生活簡略化」の流れを受けて変化していきました。それは「衣服の簡便化・略装化」へも大きな影響がありました。
また、生活簡略化には畳の生活から椅子式への洋風化も含まれ、上流階級の婦人たちの会合が座敷から洋間へと徐々に変化していきました。すると、椅子に腰かけた際に上半身から見えるのは紋だけということになり、次の提言が出始めます。
裾だけでなく胸にも模様を!
明治43年『婦人画報』7月号に「和服は模様が裾のみのため立ち姿は良いけれども、腰を下ろしたときには紋しか見えず、胸のあたりが淋しい」旨の一文があり、胸のあたりにも模様が欲しいというわけなのです。そして、「若い婦人方や令嬢達には、胸のあたりに裾(すそ)模様や袖の模様を小さくした、ゆかりのある模様を付けて召していただきたい」と続けています。
この後しばらくすると、両胸にも模様を付けた花嫁振袖が登場します。それまでの花嫁振袖は五つ紋付裾(すそ)模様の二枚(三枚)襲(かさね)でした。そして次に訪問着の登場となるのですが、その模様付けの変遷を記してみます。
模様付けの変遷!
①五つ紋付二枚(三枚)襲裾(かさねすそ)模様の正礼装に
②両胸に模様が付く
③抱き紋※が消え
④襲(かさね)でなくなり
⑤両胸でなく、上前の胸にのみ模様が付くという流れになります。
総絵羽模様の豪華なきものはこの流れとは別に特別注文の形で製作されていました。
明治45年5月、与謝野晶子が与謝野鉄幹の待つパリに赴く際に「三越」でこしらえた訪問着が写真で確認できるのですが、総模様の友禅で大変豪華なものです。ちなみに、その時フランスで見た野原いっぱいに咲く真っ赤な雛罌粟(ひなげし)の花に、与謝野鉄幹への燃える思いを込めて詠んだ歌が、あの有名な「ああ皐月(さつき) 仏蘭西(フランス)の野は火の色す 君も雛罌粟(コクリコ)我も雛罌粟(ひなげし)」です。
※着物についている紋のうち、胸にあるものです。
訪問着の始まり!
大正14年のことですが、現在の模様付けの着物を「訪問着」と呼んで紹介しているページが出てきます。他家を訪問するときや婦人方の社交の場面で用いられています。
大正初期、訪問着の名前が定着する前には、東京の老舗百貨店各社がそれぞれ「訪問服」「プロムナード」「散歩服」などの名前を付けて、襲(かさね)でなく抱き紋の付かないきものを作っていました。
訪問着は襲(かさね)で着ないぶんだけ大げさでない装い(略装)なのに、礼にかなう格式と華やかさを備えた衣服として、昭和の戦前に裕福な方々に流行し、一般に普及していきます。それは、実は戦後のことなのです。
訪問着が普及したのは戦後!
画期的に普及するきっかけとなったのは、昭和34年4月10日の「皇太子ご成婚」の前に報道された「美智子様のお着物姿」でした。古典的な御所解き模様の白地の振袖や訪問着に立派な西陣の袋帯を合わせた、優美で上品な姿に多くの女性があこがれたのです。
そこから、着物ブームが起こり、訪問着は急速に一般化しました。
〈訪問着の着用シーンと着こなし〉
訪問着の着用シーン!
結婚式、卒業式、入学式、七五三、お宮参り・百日参り、結納、お見合い、お稚児さん、祝賀会、創立記念日、園遊会・叙勲、茶事・茶会(初釜・初茶会・雛の茶会・立礼点前)
結婚式、園遊会、茶会などに選びたい模様!
古典的で格調高い「御所解き模様」「正倉院の文様」「有職文様」「草花風景文様」「琳派文様」などを友禅で表現した訪問着は式服として通用します。ですから、紋を付けられますし、立場によりますが、結婚式のような最高の格式を持つ儀式から、家元がお出ましになる格の高いお茶会、公的機関主催の大規模な園遊会やパーティ、恩師の賀の祝いなど、ほとんどの祝賀会にお召しになれます。
帯の選び方!
帯は格調高い袋帯がふさわしいでしょう。亀甲、七宝、蜀江、扇面、瑞雲や波、光琳水などの祝意を含む文様や正倉院の宝物からの文様(鳳凰や宝相華、花喰い鳥や狩猟円文など)は、着物の模様とよく調和してくれますので、利用範囲が広く重宝なものです。
帯〆は平打ち(平組)の高麗組や唐組、笹波組などで由緒の感じられるものを選びます。
帯あげは綸子地に絞り模様のものや無地、縮緬や綸子のぼかし染めも素敵です。年代にもよりますが総絞りも華やかさがあってよいものです。
モダン好みの方は
モダンな模様の訪問着をお好みの方は、そのデザインと色使い、生地質から品位を感じられるものを選ぶとよろしいのです。上質であることがキーワードです。この場合は帯もモダンに合わせると装いが決まります。
帯上の選び方!
帯上の色選びですが、フォーマル系の装いでは淡い色目を選びます。カジュアル系の装いでははっきりとした色を選ぶと装いが引き締まります。
お洒落訪問着の場合!
紬地に絵羽模様を染めで表した「お洒落訪問着」や、すくい織りで絵羽模様を表現した「織り絵羽」というおしゃれ着があります。位置づけとしては、古典的な訪問着よりカジュアルとされています。ですから、紋を付けて式服とすることはめったにありません。ただ、生地が縮緬類に比べると軽いことと、模様が古典的なものも豊富なため年配の方にファンが多いようです。お正月恒例の初釜の席でも、茶の湯のキャリアが豊富な年配のお客様がお召しになっているのを見かけます。帯合わせは「洒落袋帯」と呼ばれている、いくぶん軽い生地に少し趣味的な文様が織り出されている袋帯や、更紗柄などが染められた袋帯が良く似合います。
帯〆は少しカジュアル目の平打ちや無地の「ゆるぎ組」などでよいでしょう。
帯上は綸子や紬地に少しだけ絞りの入ったものや無地がよいでしょう。
帯の種類!
現在最も多く用いられているのは「錦織」の袋帯です。
「錦織」は主に多色使いで文様を織り出したもので、文様の種類は多種多様です。帯幅に大きな文様が1列織り出されているものを「ひとかま」、2列織り出されているものを「ふたかま」、3列を「みかま」と呼んでおり、おおむねですが、ひとかまは振袖や留袖用、ふたかまは訪問着用とされています。
「つづれ織」も品位が感じられる帯です。つづれに関しては、袋帯でなくとも式服に着用できることになっています。それは、つづれ織の特別な織り技法によるものです。つづれ織は強く張った経糸を模様に合わせて色を替えながら細い緯糸ですくうようにして織り進みます。そして、仕立てるときは袋状にせず帯の両端をかがって、八寸なごやと同様にして用いるのが普通です。ポイント柄でも格調高い模様であれば訪問着に用いられます。
「唐織」の袋帯も愛好者の多い帯です。唐織は能装束写しのものがよく知られますが、独特の地風とゆかしい文様とで訪問着にふさわしいものがたくさん見られます。
「洒落袋帯」は上記のような格調高い文様(蜀江、亀甲、七宝、正倉院写し、有職文など)ではなく、もっとカジュアル感のある文様と地風が特徴です。例えば、ふくれ織の帯はしゃれ袋の代表的なひとつです。合わせるきものは「お洒落訪問着」「御召」「紬」まで幅広く用いられます。帯芯を入れずに仕立てることもできますから、軽くて締めやすいところも好まれる理由でしょう。
重ね衿の用い方!
重ね衿を使ったほうが素敵な場合といけない場合
訪問着はたいてい全体に華やかな模様が付いています。衿にも付いていることが多いようです。ですから、重ね衿は一般的には必要ありません。
【使ったほうが良い場合】
1.全体に模様が少なく淋しいと感じる場合は目立つ色の重ね衿を合わせるとくっきりと華やかさが出てきます。
2.重ね衿大好きな方は、訪問着の地色に近い濃い色か薄い色を選ぶと上品できれいに調和します。あるいは衿にある模様の一番目立つ色でも大丈夫です。全くかけ離れた色は全体の調和を乱しかねませんので危険です。
【使わないほうがよい場合】
1.全体に華やかな模様が描かれた訪問着には重ね衿は必要ありません。かえって衿回りがごちゃごちゃした印象になります。もし、どうしても重ね衿を入れたい方は、目立たない色をそっと入れて下さい。
2.模様は華やかでも色目が落ち着いて静かな印象の都会的な訪問着の場合は、重ね衿を使わないほうがスタイリッシュで素敵です。もし、どうしても入れたい場合は、目立たない色をそっと入れることをお薦めします。
3.最も使わないほうがよいのはお茶会のときです。
お稽古に訪問着をお召しの方はないと思いますので…。お茶会では、寄付きでお仕度をすると思いますが、胸に袱紗と懐紙、場合によってはお包み(お祝いなどの金封)を挟みます。席入り後、お菓子を取り廻すとき、お茶をいただくとき、お道具拝見の際などたびたび袱紗と懐紙を使います。その際、重ね衿があると袱紗・懐紙の出し入れの時に一緒に出てきてしまいます。すると所作がもたついたり、あわてたはずみに、思いがけない失敗をしがちです。お茶会の着物姿では席中でのお辞儀の所作が大変美しいものですが、衿元に色衿が重なっているとちょっと騒々しく感じます。静かな情緒を楽しむ場面にはふさわしくないように思います。
重ね衿の合わせ方!
重ね衿には、振袖用の華やかな色の無地がほとんどです。また、金銀を濃い地色のものと重ねて用いる例も見られますが、個性が勝ちすぎて調和がとりにくいようです。
無地の重ね衿は、一般的によく見られるのは振袖用のものです。訪問着に用いる場合は、次の点に注意して選ぶとよいのです。
訪問着の地色の共濃い、共薄の色目を選ぶと失敗がありません。
●訪問着が薄色地の場合:重ね衿は訪問着の地色より濃い色を選ぶ
●訪問着が濃い地の場合:重ね衿は訪問着の地色より薄色を選ぶ
●衿にある模様の中の最も目立つ色に合わせる
●衿にある模様の中で最も目立たない色に合わせる
上記の4点を考えながら、実際の訪問着に重ね衿を当ててみます。そして、ご自分の気持ちが「あ、いい感じ」と素直に思えるものを選びます。違和感のある場合は別のものを当ててみるとよいでしょう。
要注意の色:
先ほどの、金銀を重ねる場合はお出かけ先を選びそうです。まず、お茶会は遠慮したいですね。若い方が大多数のいわゆるパーティでしたら華やかで個性的でよいかもしれませんが、古典的な訪問着には合いません。モダンなスタイルで決める場合には衿だけでなく全体のトータルコーディネートが必要ですね。また、トルコブルーやピーコックグリーンなどもきものの地色と調和のとりにくい色ですので注意が必要です。
〈訪問着と附下の違い〉
訪問着と附下は現代史的には全く発生が異なりますので、少し書いてみます。
訪問着は礼装の略装が始まり!
明治以来の礼装(上流階級のお出かけ着を含むフォーマル)を軽装・略装化したところから始まりましたが、次第に一般のフォーマル着として定着し、現在では、ほぼ万能の祝賀会・お茶会・パーティの装いとなっています。
■見てわかる、他の着物アイテムと区別できるポイントは
模様が裾の各縫い目、胸と衿の縫い目を渡ってつながっている「絵羽模様」であること。
■製作の工程の違いとしては
白生地をまず裁断し、着物の形にざっと仮縫いする「仮り絵羽」あるいは「あげ絵羽」にしてから模様を付けていきます。
附下は苦肉の策で生まれた着物!
昭和の戦時中にいわゆる「奢侈禁止令(しゃしきんしれい)※」が出されます。その中には衣服の贅沢を禁ずる項目もありました。絵羽模様の着物は贅沢なのでそれを禁止するというわけなのです。
当時、一般の家庭では絵羽模様の着物を日常着ることはほとんどありませんでしたので、さほどの影響はなかったのですが、大きく影響を受けたのは「花柳界」でした。芸者さんにとって着るものはいわば重要な商売道具と言えましょう。普通の家庭婦人と同様な質実な装いでは商売になりません。そこで考え出されたのが、模様が縫い目を渡らない「附下」です。
縫い目で模様が途切れているので絵羽模様ではないとして、「絵羽模様禁止」の取り締まりの網を抜けたと言われています。
■見て区別できるポイント
胸と衿の模様がつながっていないこと。裾の各模様が縫い目を境につながっていないこと。
訪問着は裏が共布で初めから付いています(八掛を別に買う必要がありません)。附下は丸巻きで販売されていますから、八掛を別に買って付ける必要があります。
■製作の工程の違い
白生地を裁断せず、丸く巻いた一反のままで模様を付けていきます。
現在では、仕立て上がってしまうと訪問着と見分けのつかない附下も見られますし、上半身には模様がなく裾と袖だけに模様のある訪問着もあり、多様化しています。※贅沢(奢侈)を禁止して倹約を推奨・強制するための法令および命令の一群である。
〈富澤輝実子プロフィール〉
染織・絹文化研究家:富澤輝実子(とみざわ・きみこ)
1951年(昭和26年)新潟県生まれ。婦人画報社入社。『美しいキモノ』編集部で活躍。
副編集長を経て独立、染織・絹文化研究家として活動。誌面「あのときの流行と『美しいキモノ』」連載。
婦人画報社:現ハースト婦人画報社https://www.hearst.co.jp/
美しい着物編集部での活動
昭和48年:婦人画報社(現ハースト婦人画報社)入社、美しいキモノ編集部に配属。
入社した頃はまだまだ着物業界華やかなりし時代で、毎号超一流のカメラマンが超一流の女優さんをモデルに最高の着物姿を撮影してくださいました。
この時代は、貸しスタジオがさほどありませんから、ご自分でスタジオを構えているカメラマンのところに伺いました。
最も多く行ったのは麻布霞町(現在の元麻布)にあった秋山庄太郎先生のスタジオでした。
「本格派のきもの」というテーマでは大女優、名女優が毎号お二人出てくださいました。
当時の編集長がページの担当で私たち新人はアイロンかけのために同行。
当時のバックナンバーを見てみると、岡田茉莉子さん、十朱幸代さん、小山明子さん、星由里子さん、佐久間良子さん、三田佳子さん、司葉子さん、有馬稲子さん、岸恵子さんなど錚々たる方々です。
取材
産地取材:明石縮、伊勢崎銘仙、越後上布、江戸小紋、大島紬、小千谷縮、加賀友禅、京友禅、久留米絣、作州絣、塩沢紬、仙台平、秩父銘仙、東京友禅、西陣織、博多帯、結城紬、米沢織物など各地に。
人物取材:「森光子のきものでようこそ」の連載。森光子さんが毎号おひとりずつゲストを迎えて着物姿で対談をしていただくページで、浅丘ルリ子さん、池内淳子さん、千玄室大宗匠、中井貴一さん、人間国宝の花柳壽楽さん、東山紀之さんなど華やかなゲスト。
海外活動
娘時代から続けてきた茶の湯の稽古が思いがけず役に立つときがやってきました。
海外における「ジャパニーズ・カルチャー・デモンストレーション」のアシスト。
バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)、ベラルーシ、ロシア・サンクトペテルブルク
日本文化の普及活動のお手伝いをしています。
講師として
大学や専門学校で「日本の染織」「着物現代史」「世界の民族衣装」の授業を担当。
NHKカルチャーでは「着物の基本」をレクチャー。
早稲田大学の「早稲田のきもの学」の講師。
〈会社案内〉
水持産業株式会社
https://www.warakuan.jp/
〒933-0804富山県高岡市問屋町20番地
TEL:0120-25-3306
理念:世の為、人の為、共に働く仲間の幸福と成長のために
目標:着物で笑顔がいっぱいに、地域に愛される会社・最大売上最小経費を実践し、次世代(みらい)へ繋ぐ
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