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着物の豆知識:富澤輝実子|わらくあんみずもちsince1941 富山

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〈着物の衿合わせ〉

左前って何?

私たちが着物を着る場合、通常右衽(みぎおくみ)を先に合わせて、その上に左衽(ひだりおくみ)を重ねます。これを「右衽(うじん)」と言っています。この合わせ方ははるか大昔の奈良時代に決められた服制なのですが、それをずっと日本人は守り続けてきたのです。服制の決まりだから守られたことはもちろんですが、実用的だったことも長く続いてきた理由でしょう。私たちの多くは右利きですから、懐の物の出し入れや裾の乱れ直しなど、あるいは、着つけるときの手早さも「右衽」のほうが、その逆よりもはるかに便利だったと思います。左前に着ると縁起が悪い?それ以前は「胡服(こふく)」という騎馬民族の衣服の合わせ方(左側に合わせ目がある)」であったようです。これは「左衽(さじん)」という合わせ方で、いわゆる「左前(ひだりまえ)」です。現在の私たちの生活では「死に装束」の合わせ方として知られています。
着なれない方が鏡の前で左右が分からなくなって左前に着た場合など、「縁起でもないわねぇ」とか「おめでたい席に左前に着物着てどういう了見なの!」などと叱られそうです。そのほか「左前」には物事がうまくいっていないことを意味する場合もあるため、前合わせは注意したいところです。

前合わせの注意点

もうずいぶん前ですが、巨人軍の有名な選手の奥様が喪服を左前にお召しの写真を週刊誌で見たことがありました。
喪服なので左前にお召しになったのかしら?とも考えましたが、「着つける方がうっかり左右を間違えたんじゃないかしら? 自分で着るときは右手の衽を先に合わせてから左の衽を重ねるでしょ?
誰かに着つけてあげるときもつい、右手に持っている衽(前に立っている人の左衽)を先に合わせて、その上に左手に持っている衽(前に立っている人の右衽)を重ねてしまいがちなのよね。それで着せ付け終わると左前になっているってわけなのよね」という話をしたことがあります。

私見ですが、「左前」の「前」は「さき」とも読みますので(※)、「左を先に合わせるのが左前」という風に私は覚えました。着物の勉強を始めたころは「左前」の状態と意味が分かりませんでしたので。
※例えば人名で藤原房前(ふじわらの・ふささき):藤原不比等の子で藤原北家の祖。
北家は藤原四家のなかで最も繁栄したことで知られる名家。

〈平服って何?〉

もう何十年も前のことですが、老舗出版社に入社して間もない頃、同期入社の男子が「この前、先輩について出席したパーティで恥かいちゃってさ」というのです。よく聞くと、ある祝賀会に先輩が「お前も行ってみるか?」と誘って下さったそうです。招待状のお終いの所に「ドレスコード」が記されてあり、そこには「平服」とあったようです。
同期入社の男子君は「それで、ボク、普段着で行ったんだよね。そしたらさ、みんなスーツなの。先輩は〈なんでお前そんなカッコで来たの?〉って困惑してるわけ、平服でって書いてかいてあったのにな~」と、言ったのです。私は別の編集部(『美しいキモノ』)に配属されていましたが、「これは私にも当てはまるわ」と考え、「着物で平服って何だろう」と知りたくなりました。読者の方もきっと迷っていらっしゃるに違いないと思って、識者の先生にお尋ねすることにしました。

着物の平服

教えていただいたのは石川アキ※先生でした。当時、先生は東京の世田谷区にお住まいでしたが、広い洋風のお屋敷だったと思います。「先生、着物の装いで平服ってどんな格好ですか?」とお聞きしました。先生は「そうね、まず平服は普段着ではありません。平服に対応しているのは式服です。式服というのは紋付をいいますから、平服というドレスコードの場合は紋の付いていない着物でよろしい、という意味です。」とおっしゃいました。
私は、「それでは、着物の種類でいうと小紋ですね」と申しますと、先生は、「早合点してはダメ、書いてあることを字面通りに判断してはしくじります。平服といわれた場合は〈色無地一つ紋付〉が適当です。」とおっしゃったのです。私はびっくりです。

●平服とは式服(紋付)でなくてよろしい但し、字面通りに解釈してはしくじるため、

●色無地一つ紋付が適当
というように理解しました。

※石川アキ(いしかわ あき)

兵庫県生まれ。25才できもの研究に入り、伊勢丹服装研究室、東急きものサロンなどできものの仕事にたずさわるかたわら、NHKの「婦人百科、「婦人画報」その他できもの研究家として活躍。

現在のドレスコード

その後、いろいろな祝賀会に出席してみますと、現在ではドレスコードが「平服」とあっても、ほとんどの方は「訪問着」をお召しです。訪問着は種類が豊富なうえ、おおむね華やかですから、男性の多い祝賀会の中でとても輝いて見えますし、周りの方も気分が高まり、祝賀の雰囲気作りのお役にも立ちます。そこで色無地の方は少し寂しく見えてしまいがちですから、色選びに注意されるとよろしいと思います。
祝賀会・パーティで色無地をお召しになる場合は、ありきたりでなくそれでいて品格を感じさせる色と地紋を選びます。そして、何より大切なのは「生地質が上等であること」です。ペラペラの安っぽい生地では深みのある上品で華やかな色は出せないでしょうし、立ち居の時にでる素敵なドレープも期待できないでしょう。また、上質な生地は座りジワもなんとなしに好ましい状態になるものです。帰宅後にサボしておくと自然にシワが薄くなりますし、「富澤方式」のたたみ方と仕舞い方をすると、次に着るときにはシワは目立たなくなっています。
平服と書いてあっても、祝賀会でしたら「訪問着」をお召しください。
色無地紋付をお召しになるときは「色選びを慎重に、適切に」なさることをお薦めします。

〈衣替え〉

衣替えの基本

日本では季節に応じて衣服を変える衣替えの行事を大切にしてきました。始まりは古く平安時代といわれていますが、本来は衣服だけではなく調度品などの室礼(しつらい)も替えて調える、いわば季節の模様替えのことのようです。現在でも伝統を重んじる土地では、秋から冬、春まで用いた障子や襖、段通などを、夏の前に夏障子や簀戸(すど)、網代に組んだ籐の敷物に替えてすっかり夏の風情に入れ替わります。
日本には春夏秋冬の四つの季節がありますが、そのなかで最も特徴的なのは夏の蒸し暑さです。その夏を快適に乗り切るための工夫が衣服を含めての暮らしの切り替えだったのでしょう。

着物愛好家だけでなく衣替えと聞いて思い出すのは(年代や地域にもよりますが)女学生の頃の制服でしょう。6月1日に夏服になって10月1日からは冬服になりましたでしょ?
私は新幹線の車掌さんの制服が6月から生成り色の麻のスーツに替るのがいつも楽しみでした。この6月1日と10月1日に衣替えをする習慣は古くは朝廷のものであったようです。その後、制服の衣替えは明治時代の軍服から引き継がれているようです(当時の学生はほとんど和服)。

着物の衣替え

着物の衣替えについては、元となっているのが室町幕府の武家故実を引き継いだ徳川幕府の定めです。少し難しく感じるかもしれませんが簡単にご紹介します。
「4月1日から袷、5月5日からは帷子、6月1日から7月中は帷子、8月1日から袷、9月9日から翌年3月まで小袖(綿入れ)」。おおよそこのようなところです。もちろん旧暦ですから現在とひと月以上のずれがありますが、夏は特別な季節と言えるでしょう。

現代の着物の衣替え

次に現代の着物では衣替えをどのようにしているかのおおよその目安を申しますと、
①6月は単衣(裏がなくて透けない着物)
②7月と8月は薄物(裏がなくて透けている着物)
③9月は単衣(裏がなくて透けない着物)
④10月から5月は袷(裏が付いている着物)
大抵の方はこのように着分けていらっしゃると思います。

ただ、近頃は温暖化の傾向がみられ、とにかく暑い日が多いものですから気温と体調に合わせて装いをお決めになるのがよろしいと思います。4月くらいから10月半ばまで単衣をお召しになる方もいらっしゃいます。着物のキャリアの長い方ほど自由に着こなしていらっしゃるようです。

暑くても着物を着る理由

夏になると電車の中で年配のご婦人から「涼しげですね。私も昔はよく着物を着ましたのよ。今はもう着なくなりましたけれど、夏の着物姿はよろしいわね。日本情緒を感じますもの」などと声を掛けられることがあります。こちらは暑くてへろへろになっているのですが、着物好きなものですから着物を誉められるとつい嬉しくて暑さを忘れ、笑顔になるのです。そして、「どんなに暑くても着物でお出掛けするぞ」と思うのです。夏に着物を着るのは自分のためではなく周りの方に「温度計では測れない涼感」あるいは「日本の夏を涼やかに感じていただく視覚的効果(ちょっと回りくどいですね、ごめんなさい)」をお届けするためと考えて装いたいと思います。

六月の装い

着物は単衣を着ます。帯は単衣用・夏用のものをおススメします。絽綴れは6月から9月の間、単衣と薄物の両方に締められます。献上博多帯は基本的に年中締められます。大きな独鈷柄の白地の博多帯は夏の間に締めるとよいでしょう。クリーム地や若草地、薄茶地、柿茶地などの独鈷柄でない平地の博多は本塩沢や単衣の御召などにぴったりコーディネートできて素敵です。
小物ですが、帯上・帯〆は夏用でも袷用でも大丈夫です。レース組のものがお好みの方はお使いになってよろしいでしょう。レース組だと結び目が小さくなって貧相なのが気になるという方は袷用をそのままお使いになってよろしいのです。コーディネートを優先しご利用されることをおススメします。

七月・八月の装い

7月・8月は薄物を着ます。
薄物というのは透ける生地の着物のことを言います。代表は絽や紗です。夏の訪問着の多くは絽地に友禅で模様を染めた着物です。帯は透けた生地に模様が織表されている紗袋帯か絽綴れを合わせます。紗地に模様を染めた訪問着もあります。大変涼やかで少し趣味の香があります。
7月・8月の盛夏はカジュアルな装いがとっても楽しい季節です。ほとんどが夏織物の着物ですが、夏結城、夏大島、夏塩沢、小千谷縮、夏黄八、越後上布、宮古上布、能登上布、芭蕉布、琉球絣、長井縮、明石縮、夏御召など数えきれないくらいたくさんの織物があります。
とても手が出せない超高級織物(芭蕉布、越後上布、宮古上布など)もありますが、十日町や小千谷、塩沢などでこしらえる織物は比較的手ごろな価格帯で流通していますので、手に取りやすいと思います。帯もカジュアルな夏の帯は求めやすい価格帯ですからドキドキせずに選ぶことができるでしょう。また、染め帯も夏らしい模様のものがたくさん出ますから、見るだけでも楽しいものです。伝統的な秋草や波に千鳥、水辺風景、夏祭りなどの行事、金魚やうちわなどのちょっとユーモラスな図柄も夏織物に合わせると、ぐっとチャーミングな装いになります。私も白絽地に巻き貝、桜貝、カニ、海藻などを愛らしく染めた手描き友禅の帯を長年愛用しています。
超高級織物をここ一番というとき(着物通の目利きが集まる展覧会のオープニングパーティなど)に是非お召しになってください。

九月の装い

9月はまた、単衣を着ます。但し、あまりに暑い日が続いている場合は薄物でもよろしいでしょう。暑い日であれば帯も夏物で。
着物は6月と同様ですが、模様で気を付けたいことがあります。それは、「アジサイとアヤメは秋には禁物」という点です。それ以外はほぼ同じように着こなして大丈夫です。

※帯〆はレースでなくてもよろしいのです。帯上、半衿、襦袢類は夏用を用いますと涼しく装えます。
※9月の終わりから10月初めには夏物をまとめて汗抜きや丸洗いに出すことを忘れないようにします。
夏の間自分の汗をたっぷりと吸ってくれた着物たちに感謝しつつ出しましょう。
涼しくなって袷の着物を着始めると夏の暑さを忘れがちです。そうすると、タンスの中の夏物がそのままで冬を越してしまいます。翌年6月の時点ではまだ昨夏の汗ジミなどは目立ちませんが、夏を超すと目立ってきますので要注意です。
9月か10月には必ず綺麗にしてもらうことをお薦めします。そしてまた、来年さっぱりと清潔な着物で日本の夏姿を演出いたしましょう。

「単衣の着こなし」の講演

もうずいぶん以前なのですが、着物愛好家グループから講演を頼まれた時のことです。テーマは「単衣の着こなし」でした。得意の分野のつもりでお話を組み立てて、話の内容に沿ったコーディネート例を何種類もこしらえ、トランクに詰める寸前のところまで準備をしました。どなたもそうだと思いますが、お出掛けの予定ができるとまず「何を着て行こうかしら?」と考えるのが楽しいですね。私もそうです。タンスの中にはどちらかというとクセのある着物が多いものですから、考えた末に、ある染織作家の紬の単衣を着ることに決めました。そしてウキウキしながら当日を待ちました。
すると、しばらくして主催者からメールがありました。
テーマを「単衣の着物はこの一枚があれば大丈夫」としてほしいというのです。
ヒエ~!びっくりです。自慢ではありませんが、この一枚があれば大丈夫な単衣を私は持っていなかったのです。
だって、みんなヒトクセある着物ばっかりなのですから。このテーマの講演で講師がクセのある着物を着ていたらお客様が悩むと思い新たに購入することに。

ところがその時期は、単衣はほとんど無かったのです。なぜかというと、単衣を含めて夏物は特別な季節もののため、時期を逸すると翌年夏までほぼ1年間の持ち越しとなってしまいます。
ですから夏前に売り切ってしまうのだそうです。ですが天の助けってあるのですね。両面地紋の桜鼠の無地があったのです。両面に別の地紋が織り出された単衣向きの無地です。よかった~!これでしたら、一枚あればたいていのお出掛けに間に合いそうです。すぐに仕立てに回していただいて、ぎりぎりセーフで期限に間に合いました。無理していただいたのだと思います。

当日はこの着物に西陣織の菫色地に花柄の綴れ帯を締め、三井寺という組み方の帯〆、白絽地に薄藤色の輪出しの帯上をコーディネートして出掛けました。さまざまなコーディネート例も実際の着物と帯でご紹介しながらお話を進め、なんとか無事に乗り越えられました。お客様と和やかなひと時を過ごした良い思い出です。

〈紋〉

着物では装う場合に「着物の格」ということを大切に考えています。
フォーマルな場面ではそこにふさわしい格の着物で装わなければなりませんし、カジュアルなお出かけにはそこにふさわしい装いをすることが楽しく時間を過ごすために必要です。
では、着物の格は何で決まるかというとそれは「紋の数」で測っています。

紋の数が多いほどフォーマル度が高い着物ということになりますし、紋がない着物はフォーマルではないと考えられています。

紋の数

着物に付けられる紋の数は最大で五つ、最小でひとつです。ですから五つ紋を付けられる着物が最高の格式を持つ着物ということになります。
たくさんある着物の中で五つ紋を付けられる着物はたった二種類しかありません。
それは、「留袖」と「喪服」です。ですから、留袖と喪服を着て行く場面が最高の格式を持つ儀式と日本人は考えてきたことが分かります。
その場面は「結婚式」と「葬式」です。この二つの儀式が私たちの生活の中で最も高い格式の場面と言えるでしょう。
現在、着物のしきたりがくずれていることを憂える方は多いと思いますが、結婚式とお葬式では、着物着用の方が減っているとはいえ格式は保たれていると感じます。

黒留袖・黒喪服と色留袖・色喪服の違い

黒留袖と黒喪服は必ず五つ紋付ですが、色留袖、色喪服は五つ紋付が本来ですが三つ紋付の場合もあります。
その場合は、色留袖でしたら結婚式列席時の新郎新婦の恩師や未婚の姉などにふさわしい装いですし、叙勲や新春の祝賀会、初釜に社中を連客にして出席する先生の姿などにふさわしいでしょう。

格式を高める一つ紋付

一つ紋付は様々な場面で重宝する紋の数です。色無地、訪問着、江戸小紋など少し晴れやかにしたい場合で格式を高めたいときに一つ紋を入れておくとよいのです。

カジュアル着物に紋は?

カジュアルな着物には紋は付けません。紋を入れることで「かしこまった印象」になりますので、普段のお稽古や食事会、お芝居見物などでは紋が入っていないほうがふさわしいでしょう。
また、紬類は通常紋はいれません。入れる場合は刺繍で大き目の「お洒落紋」にしておくと楽しく着られるでしょう。

〈着付けの補正〉

着付けに補整をするようになったのはいつから?
多くの方が着物を着るときに補整をします。私自身は補整の必要のない(太めの)茶筒のような体形なので、足袋をはいて裾除けを巻き、襦袢類を着けたらすぐに着物を着始めます。まことに楽ちんな体形で助かっています。

ところが現代的なナイスバディな方ほど補整が必要だそうですから、神様は公平なお計らいをして下さるのですね。

さて、この補整はいつ頃はじまったのでしょうか?昔(と言っても明治時代)の雑誌などを見ますと、どなたも自然のままの着方をなさっていて補整の跡は感じられません。それどころか、補整されたスマートな着姿写真を見慣れた現在の私たちの目で見ると、びっくりするような姿が写されています。明治時代と言えばまだ日常的に写真を撮る時代ではありませんからスナップ写真は少なく、残っているのはほとんどが写真館などでの記念写真です。ですから、立派なこしらえの礼装が多いのですが、なかでも目立つのはお見合い用かと察しられる振袖姿の令嬢や、婚礼の際の花嫁の打掛姿です。打掛姿では着付けのことは分かりませんが、令嬢の振袖姿からは様々な情報が伝わってきます。

現代の着付け法が定着するまで
目が釘付けになったのは、「明治の元勲のお嬢様がお召しになった三枚重ねの振袖姿」です。

髪は気品高く日本髪に結い上げ、少しうつむき加減のつつましやかな目線、五つ紋付三枚重ねの振袖に丸帯、丸ぐけ紐を締めています。ポーズは自然でたおやかなお姿なのですが、おはしょりは三枚を一緒に手繰ったようにとられており、帯の下端からかなりのボリュームで飛び出して見えます。裾はゆったりと床に触る長さになっていますから、撮影の直前まで裾は引かれていたのでしょう。そして、撮影の際に紐でおはしよりをたくし上げたものと思われます。当時最上流階級のお嬢様の第一礼装姿でも現在のような「着付けと補整」がされていないことが分かります。
その後も多くの写真に写るご婦人方は着付けと補整にさほど注意していない様子が見られます。ところが戦後一変することになります。それは、着物専門の婦人雑誌の登場です。昭和28年、『美しいキモノ』が創刊されました。着物姿を撮影するために一流美容家の指導と協力が必要となり、山野愛子先生と村井八寿子先生にお願いしたのです。山野愛子先生はどなたもご存知の美容家で、日本の美容界を牽引した実力者です。村井八寿子先生は東京の麹町にあった「紀の国や美容室」を主宰され、「お客様は上流階級の方ばかり」という有名な方でした。このお二方が撮影の際の女優さんやモデルさんのポーズに合わせて、より美しく見える着付け方とそれに合わせた補正を考案していかれたようです。
さらに、後年になって山中典士氏が提唱された「装道」の普及により、着付けは格段に美しく整ったのだと思われます。美しい着姿を追い求め、理想に近づくために体形補整をし、そのために必要ならば補整具を用いるという、現代の着付け法が定着しました。

現代の素敵な着こなし方は?
現在、雑誌やポスターなどの印刷物のほか、各種式典やパーティに登場される有名人の着物姿は、すっきりと整っていてまるでお人形のようです。とってもきれいでうっとりしますが、味気ないわなどという声も聞こえるそうです。名脇役でエッセイストでもいらした沢村貞子さんや着物デザイナーの第一人者・大塚末子さん、日本を代表する大女優・文学座の杉村春子さんなどの、着物が体になじみ、ざっくりとして味わい深い着こなしはもう思い出の中でしか見ることが叶わないようです。

ですが、現代には現代の素敵な着こなし方があるはずです。それぞれができるだけ数多く着物を着て、体になじんだ自然な動きができるようになったら、きっとさらなる令和の着物美人が出現することでしょう。楽しみですね。

〈半衿〉

半衿の名称

半衿は元々着物に掛ける掛け衿のことでしたと言ったら驚きますか?
江戸時代後期の風俗書(事典)『守貞漫稿』(喜多川季荘著)というれっきとした書物に書かれています。
着物の地衿の汚れを防ぐために掛け衿を掛けることは江戸時代からなされていたのですが、それはビロードや黒繻子などの布で髪油が着物の衿に付かないようにしていたのです。
当時は髪油をたっぷりつけて日本髪を結っている時代ですから、着物の衿が汚れないように保護することは必要なことでした。ですが、同じ書物に御殿女中は黒の掛け衿をしないことも書かれています。
ですから庶民の風俗だったのですね。そして、着物でも襦袢でも掛け衿を半衿と言っていることも出てきます。

半衿の名称は「丈が本衿の半分」「半幅の布を用いた」などの説があります。
現在は、襦袢の衿に掛ける布を半衿と言い、着物の衿に掛ける布は掛け衿あるいは共衿(着物と共布)と言っています。
この言葉の用い方からも掛け衿が元は別布を掛けていたことが分かります。

半衿の華やかさ

明治時代から大正時代の古い写真を見ると、モノクロ写真でありながら半衿の華やかさが目をひきます。
現在のようにスマホでサッと写すという時代ではありませんから、写真はたいてい写真館で撮影された記念写真です。
二枚襲(にまいがさね)か三枚襲(さんまいがさね)の立派なお召し物にきれいに結い上げた髪型、表情やポーズも整然としたものです。
その衿元の半衿はほとんどが刺繍のものです。
刺繍の分量は様々ですが、みごとな刺繍を披露したい女心がなせるのか、半衿をたっぷりと見せる着付けとなっています。

心が和む美しい和装小物

大正時代が最も半衿の美に心を砕いた時代だったでしょう。
刺繍半衿全盛の頃です。刺繍職人さんの腕も最高の時代だったでしょう。
贅沢な半衿が日本中の女性たちの衿元を飾ったのですね。
ことに当時の女学生にとって半衿は実用品であるばかりでなくおしゃれのポイントでもありましたから、画家の竹久夢二デザインというような最新流行の半衿を競って買い求めた話があちこちに出ています。
多くの女性が着物のフォーマル度に合わせて刺繍だけでなく友禅や絞りの半衿をさかんに用いていました。

戦後は現在までもほとんどの着物に白い半衿姿となっていますが、趣味性の高い着物の時には少々味気ない気がいたします。膨大で貴重な着物コレクションで有名な池田重子先生は、お目にかかるたびいつも素敵な色半衿をしていらっしゃいました。
ご趣味の良い上質なお召し物に色半衿がよく映えて見事な着姿だったことを思い出します。

この頃、少し不思議な戦前の半衿コーディネイトを見ることがあります。
にぎやかな小紋の着物に羽織姿なのに、半衿が市松やごちゃごちゃした小紋柄の染物なのです。
にぎやかな小紋と羽織でしたら半衿はすっきりした刺繍だったでしょうし、ごちゃごちゃした染めの半衿でしたら着物は無地の木綿や紬などにしておくと、半衿がキュッと全体を引き締めて素敵かもしれません。

現在でも「衿」「えり」「ゑり」と付く老舗や名店が各地に残っています。
半衿商として創業したことが分かってゆかしさを感じますし、半衿だけで商売ができた時代があったことを懐かしく思うのは私だけでしょうか?

その昔、半衿はおつかいものに大変重宝したと聞いたことがありました。本当に身近で、見ているだけでも心が和む美しい和装小物だったのですね。

〈着物の荷物収納〉

着物姿で外出する際はどなたもバッグをお持ちになると思います。帯地などでこしらえた和装用の上品なバッグの方もありますし、洋装用の革製のものを愛用される方も多いことでしょう。
大きさもA4サイズの書類が入るくらいの実用性重視の大きなものから、お洒落感あふれる小型のものまでお好みは様々なようです。
夏になると浴衣に竹製の籠バッグやカジュアルな巾着袋を持っている方も見受けられます。
浴衣に籠バッグや巾着袋を持つ姿は楽しそうでいいですね。

風呂敷で包んでお出かけ

バッグや袋物を手に持って外出するようになったのは割合最近です。
それまでは荷物や身の回りの物は何に入れていたかと言いますと、荷物は大きくても小さくても大抵風呂敷でした。
風呂敷は並幅の木綿布を何枚で作るかで大きさは変えられますので大小様々なものが用途に合わせて使われていました。
並幅二枚でしたら「二幅(ふたの)」と言って70㎝正方くらいですから、私達が現在も日常で用いるサイズですね。
四枚でしたら「四幅(よの)」でちょっと大きめの風呂敷です。
お茶会の時などにお道具を運ぶ際に重宝していることでしょう。
五枚でしたら「五幅(いつの)」と言ってお布団がくるめるサイズです。
風呂敷をなぜ風呂敷というのかはこの次お話しするとしまして、ここでは昔は品物を何に入れていたかのお話をいたします。
風呂敷に入れたものは小さければ手に抱え、持てないほど大きなものは背負いました。
浮世絵などに風呂敷に包んだものを肩に背負って歩く人がたくさん出てきます。何を運んでいるのか考えるだけでも楽しいものです。

心が和む美しい和装小物

着物にはしまうところがいっぱい
風呂敷に入れるほどでもない小さなものは身に着けました。着物はしまうところがいっぱいあるのです。まず帯の間、袂(たもと)、胸元(むなもと)、懐(ふところ)などに入れていました。今でも、帯の間に様々なものを挟んでいる方をお見掛けします。講演会のカタログやチケット、財布や入場整理券などを挟んでおくと、いちいちバッグにしまうよりもずっと楽ちんです。それ以外では、男の方は財布や煙草入れに凝っておしゃれの見せ場としたことが今に残されているコレクションで見ることができます。

心が和む美しい和装小物

袋物を手に持つようになったのはいつから?
袋物を手に持つようになったのは、明治になってから西洋の文物に親しく触れて、手に持つ袋物が便利なものと感じたことがあると思います。信玄袋の流行があり、女性用ではオペラバッグがおしゃれな方々に愛好されるようになって、バッグは一般化していきます。現在のようにスマホやカード類、たくさんのメイク道具、書類など持ち歩きませんので、バッグは小さなもので十分間に合ったのです。

1973(昭和48)年、美しいキモノ編集部で編集者人生が始まった頃、撮影用和装バッグは日本橋にあった老舗袋物商「中村清商店」でお借りしていました。上質で高級な和装バッグがずらっと並んだ店内でテーマに合わせてバッグを選ぶことは楽しいことでした。とにかく上等な品物ばかりなのです。材質も縫製も使い勝手もよいものでしたね。たったひとつですが中村清商店製のオペラバッグを求めて大切にしています。小型のがまぐちタイプでワインレッドのレース生地のものです。ときどき眺めて名店の仕事を味わっています。

〈富澤輝実子プロフィール〉

染織・絹文化研究家:富澤輝実子(とみざわ・きみこ)
1951年(昭和26年)新潟県生まれ。婦人画報社入社。『美しいキモノ』編集部で活躍。
副編集長を経て独立、染織・絹文化研究家として活動。誌面「あのときの流行と『美しいキモノ』」連載。
婦人画報社:現ハースト婦人画報社https://www.hearst.co.jp/

美しい着物編集部での活動

昭和48年:婦人画報社(現ハースト婦人画報社)入社、美しいキモノ編集部に配属。
入社した頃はまだまだ着物業界華やかなりし時代で、毎号超一流のカメラマンが超一流の女優さんをモデルに最高の着物姿を撮影してくださいました。
この時代は、貸しスタジオがさほどありませんから、ご自分でスタジオを構えているカメラマンのところに伺いました。
最も多く行ったのは麻布霞町(現在の元麻布)にあった秋山庄太郎先生のスタジオでした。
「本格派のきもの」というテーマでは大女優、名女優が毎号お二人出てくださいました。
当時の編集長がページの担当で私たち新人はアイロンかけのために同行。
当時のバックナンバーを見てみると、岡田茉莉子さん、十朱幸代さん、小山明子さん、星由里子さん、佐久間良子さん、三田佳子さん、司葉子さん、有馬稲子さん、岸恵子さんなど錚々たる方々です。

取材

産地取材:明石縮、伊勢崎銘仙、越後上布、江戸小紋、大島紬、小千谷縮、加賀友禅、京友禅、久留米絣、作州絣、塩沢紬、仙台平、秩父銘仙、東京友禅、西陣織、博多帯、結城紬、米沢織物など各地に。
人物取材:「森光子のきものでようこそ」の連載。森光子さんが毎号おひとりずつゲストを迎えて着物姿で対談をしていただくページで、浅丘ルリ子さん、池内淳子さん、千玄室大宗匠、中井貴一さん、人間国宝の花柳壽楽さん、東山紀之さんなど華やかなゲスト。

海外活動

娘時代から続けてきた茶の湯の稽古が思いがけず役に立つときがやってきました。
海外における「ジャパニーズ・カルチャー・デモンストレーション」のアシスト。
バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)、ベラルーシ、ロシア・サンクトペテルブルク
日本文化の普及活動のお手伝いをしています。

講師として

大学や専門学校で「日本の染織」「着物現代史」「世界の民族衣装」の授業を担当。
NHKカルチャーでは「着物の基本」をレクチャー。
早稲田大学の「早稲田のきもの学」の講師。

〈会社案内〉

水持産業株式会社
https://www.warakuan.jp/
〒933-0804富山県高岡市問屋町20番地
TEL:0120-25-3306

理念:世の為、人の為、共に働く仲間の幸福と成長のために

目標:着物で笑顔がいっぱいに、地域に愛される会社・最大売上最小経費を実践し、次世代(みらい)へ繋ぐ

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